下町フネ子の子育て、通院、時々仕事

ある日突然、目に悪性リンパ腫があると告げられた2児の母のブログ。これから起こるであろういろんなことを、前向きに乗り越えたい。

初診とその後の2週間

の続きです。
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初診当日。ほぼ徹夜を引きずり、慌ただしく朝の支度をした。
夫も休みを取ってくれていたので、息子の保育園送りは夫に任せた。
初診は診察開始1時間前に来てくださいと言われていたので、「履きたい靴が見つからない」と騒ぐ夫を置いて先に家を出た。
 
この日、娘と二人で久しぶりに電車に乗った。
朝の通勤時間帯と重なっていることもあり、かなりの混雑。窓の外を見て娘に話しかけながら、移動時間を過ごした。移動中は終始なんとも言えない緊張感に襲われていたので、やり過ごした、というのが正確かもしれない。
電車を降りて駅から病院までは、病院のホームページの親切な道案内に助けられて迷うことはなかったが、病院のロビーが広過ぎて、初診受付にたどり着くまで時間がかかってしまった。
銀行の受付と同じ要領で、番号札を取って待っている間に夫合流。番号札を取ってから10分ほど待っただろうか。受付に呼ばれ、初診で記入する問診票をもらった。なんとA4×8枚。ネットで調べて「記入書類がたくさんある」となんとなくイメージはしていたが、ここまでとは驚いた。質問の多くが、当たり前だが「がん」に関連するもので、「(おそらく)自分はがん患者である」という事実を突きつけられているようで、回答するのがかなりしんどかった。特に印象に残った項目が、「この1週間のあなたの気持ちの辛さを10段階評価してください」というもの。気持ちに波があったのは間違いないので、10段階中5を選んだ。祖父母がどういった病気で亡くなったか、という項目もあった(情けないことに、完璧には答えられなかった)
 
問診票を受付に提出したのち、治療や検査の過程で患者から採取した血液その他を研究目的で使わせてもらいたい、という趣旨の説明を受け、同意書にサインをした(同意しなくても、治療に何ら不利になることはないそう)。が、説明は上の空で聞いていた。
そして、眼科の待合へ。お隣は小児科。自分の子供がもし小児がんと診断されたら、どんな気持ちになるだろう。何事もないように、本当に普通に待合で過ごしている親子の姿が、ものすごく眩しく見えた。私はというと、夫と話す気にもなれず、スマホをいじる気にもなれず、周囲を見たらポスターや備え付け書籍に「がん」の文字が溢れていることに再び参り、寝不足だったこともあって、居眠りしていた。
 
診察室に呼ばれた。
紹介された先生とは違う名前だったので焦ったが、「この後○○先生(紹介された先生)にも見ていただきます」と言ったことを最初の先生が言っていたような気がする(ぼんやりしていたこともありよく聞き取れず、その後のやりとりもあまり思い出せない)。
しばらく待ったのち、再び診察室へ。普通の眼科と同じ要領で、目をライトで照らし、まぶたをめくったりしながら診察。
先生の見立てでは、「MALT型の悪性リンパ腫」とのことだった。粘膜の部分にできる悪性リンパ腫で、進行は極めて遅く、目だけにできているなら極端な話、放置しても問題ないこともあるのだそう。ただし、悪性リンパ腫は血液がんであることから、治療を始める前に全身にリンパ腫がないかどうか確認する必要があり(MALT型リンパ腫は胃の粘膜にできることが多く、ピロリ菌保菌者だとより発生のリスクが高まるらしい)、その後治療方針を決めることになる、という説明を受けた。腫瘍があるのが目だけならば、放射線治療を選択するケースが多いが、白内障が早期に発症したり、ドライアイになるというリスクがあるとも言われた。
そして、腫瘍の種類を確定するためには、目の組織の一部を切り取って検査に出す必要があるが、今日にでもできますがどうしますか?と聞かれ、私が夫に「どうする?」と聞くと、夫から先生に「今日やってください」と依頼。そこは私からお願いします、と言いたかったのに。何れにせよ、心の準備も何もあったものではない。先生曰く、「手術とも言えないくらいの簡単な手術」だが、手術は手術。麻酔もメスも使う。ビクビクしながら再び待合でNHKニュースと昼の朝ドラを見ながら暇を潰し、診察室備え付けのベッドに横たわって手術開始。瞬きしないよう、目をクリップで止められた。痛くはないが、思う通りに瞬きできないのは辛かった。針や刃物が視界に入らないよう目はガーゼのようなもので覆われ、その後麻酔入りの目薬をさし、麻酔の注射をし、患部を切り取った。麻酔はきいていたし、恐怖を感じないよう最大限配慮してくれていたと思うが、そこそこ痛かったし、怖かった。その後生まれて初めての眼帯をする。あまりにも遠近感がわからないことに驚いた。
 
長い待ち時間と診察と予期せぬ手術で疲れ切ってしまい、帰りはタクシーに乗った。一人になりたかったので、子供達は夫と母に任せ、長いこと眠り、20時過ぎくらいに夕食のカレーを食べた。
 
その後、三日ほどは目の痛みも残っていた。
そして、初診前と同じ検索ワードで病気の情報を調べ、相変わらず何もわからないことに不安になり、「やっぱり私はがんなんだ」ということが頭をよぎっては落ち込み、いろいろなことが手につかなかった。食事もあまり喉を通らなかった。
 
なんせ、まだ30代。がんなんて、他人事もいいところだった。診断がつくまでの「宙ぶらりん」の期間が、ここまでしんどいとは思わなかったし、気持ちが憂鬱になっていつもできることができなくなると、「この程度で参ってしまうなんて、なんて私は弱い人間なんだろう」と余計自分を追い詰めてしまい、マイナス思考の悪循環に陥った。
 
しかし、診断確定の二日前くらいになったらスッと気持ちが軽くなって、「もう、なるようにしかならない」と腹をくくることができたように思う。2回目の診察の前日は、初診のときとは違い、ぐっすり眠ることができた。
 
その後のことは、こちらの記事をご覧ください。