下町フネ子の子育て、通院、時々仕事

ある日突然、目に悪性リンパ腫があると告げられた2児の母のブログ。これから起こるであろういろんなことを、前向きに乗り越えたい。

改めて、地元眼科初診から専門病院受診までのこと

以前のエントリーと重複しますが、改めて、地元のかかりつけ眼科初診の時から専門病院受診までのことを書いてみようと思います。

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私の息子は、3歳を過ぎた頃からよく目が腫れる。なので眼科によく行く。子供は、ストレスや疲労などの精神的身体的負荷がかかると、よく熱を出したり中耳炎になったりするが、うちの息子の場合は症状が目に出やすい、ということらしい。

 
5月のある日、何となく鏡ごしに自分の目を見ていたら、右目の下半分が赤くなっていた。2人目の子供が生まれてから数ヶ月、育休中とは言え鏡をじっと見る間もないほどの慌ただしい日々を過ごしていたなあ。もっとちゃんと自分の体とも向き合わなければいけないなあ、と思い、その翌日に、息子のかかりつけ眼科へ足を運んだ。この眼科は、あまり混まない上、気さくかつ経験豊富な先生なので助かっている。眼科に到着し、ほどなく診察。瞼を裏返されていたので先生の表情は見えなかったが、うーんと言いながら何度もなんども繰り返し私の瞼を見ていたので、もしかして何かあるのかな、と思った。はいいいですよー、と言われて顎を診察台から離すと、先生が言った。「ひとまず、抗菌剤とステロイド剤入りの目薬を処方しますが、普通の結膜炎じゃない可能性もあります。2週間様子見て、もし良くならなければ来てください」と言われた。
普通の結膜炎じゃない、ということの意味は、この時まるでわかっていなかったので、「わかりましたー」とだけ言って、病院を後にした。
 
6月中旬に、娘を小児科に連れて言っている最中に病院のテレビで小林麻央さんの訃報に接し、涙が出そうになった。同世代で、私と同じく2人のお子さんがいる。
死んじゃったら全部が終わりなんだ、自分を大事にしなきゃ、と心の底から思ったが、眼科を受診してから2週間以上経過していたことを、この時の私はすっかり忘れていた。目薬も、ろくにさしていなかった。
 
我が家は2世帯住宅である。両親とも働いていることもあり、ちょうど良い感じの関係を保っている。6月下旬のある朝、息子を送りに出ようとした時、母と玄関で顔を合わせた。すると母は「そういえばあなた、目医者さん行ったの?私今日仕事休みだから、娘ちゃん見ててあげるから行ってきなさい!」と言われた。あぁそうだった、と思い出し、息子を保育園に送り届けたその足で眼科へ向かった。
 
診察。先生は私の瞼を見るなり、ためらいつつも早口の関西弁で喋り始めた。「えぇーとね、この白めの下の方にタラコみたいなピンクのんくっついてるでしょ、これが前回診た時よりよくなってないんです。これね…おそらくリンパ球が異常に増殖していて、自分も何回かこういうケース診たことあるんだけどね、専門の病院に行ってもらったほうがいいと思います。ネットで調べたら国立がん研究センターが一番症例数多いから、紹介状書きますんで診てもらってください」
 
へ?がん?
 
まるで事態が飲み込めない。リンパ球が増殖するとがんになるの?頭の中が「?」でいっぱいになる。帰り際、受付で紹介状をもらいつつ、「先生に、受診までの間日常生活で気をつけるべきことがあるか聞き忘れてしまったのですが」と尋ねると、先生からは「特にないです」との返事があった。紹介状の封筒には、やはり「国立がん研究センター」って書いてあるし、予約受付電話番号のメモには「眼腫瘍科」と書いてある。頭がクラクラしてきた。自転車を漕ぐのも何だかフラフラする。帰宅すると義母が「どうだった?」と聞くので、こんなもんもらいました、と紹介状を見せると顔面蒼白に。夫にも電話し、ことの次第を「驚かないで欲しいんだけど…」と前置きし、かくかくしかじか、と話したら言葉を失っていた。さらに、病院の予約を入れるために電話したら「はい、希少がんセンターです」と電話口の方が出るのでまたまた「希少がん」という言葉に怖気付いてしまった。ひとまず1週間後くらいの日付で予約を入れ、その日に夫にも休みを取ってもらうことにした。
 
余計なことをあまり調べず、初診までやり過ごそうと思っていた矢先、息子が発熱。続いて娘が発熱。私は手足口病に。私の手足口病が一番重症で、初診日まで治る見込みがなかった。やむなく初診を先延ばしすることに。手足口病が治ってから初心までの数日は、本当に苦しかった。さすがに何も調べずに受診するわけにはいかないと思い、「目 リンパ球 増殖」で検索すると、「悪性リンパ腫」の文字が飛び込んできた。もしかしたら、かかりつけの先生は気を遣って病名をはっきり言わなかったのかもしれない、と思いつつ、「私って悪性リンパ腫なんだ…」となんとも空虚な気持ちになった。さらに、国立がんセンターのページを検索したが、私の病気と思われる項目の記述はわずか数行。どんな検査をするのか、どんな治療をするのかもわからない。また、そもそも、その病気で合っているかどうかもわからないので、「眼腫瘍」の他の疾患に関する記述を見ると「死に至ることもある」「眼球を摘出する必要がある」と行った記載も散在し、ますます不安を煽られる。堪り兼ねて、がんセンターが作っている「がん情報サービス」を読むと「情報はあなたの力になります。調べましょう」とある。いやいや、調べても情報出てこないし!と憤り、そしてますます不安になる。日中は物事がまるで手につかず、夜は眠れなくなりひたすら「目 リンパ腫」で検索し、ページをかたっぱしから読み漁るが、書いてあることは皆、がんセンターのページのコピペだった。紹介されたお医者さんの名前で検索をして見ると、どうやらその道の第一人者であるらしいとわかったことだけが救いだった。
この情報が氾濫するご時世に、「調べても何もわからない」という不安を味わうことになるとは、思ってもいなかった。検査は、治療は、どんなものなのか。育児(特に授乳)に支障はないのか。仕事復帰はできるのか。限りある育休の時間、いろいろなことを学ぼうと行動していたのに、それもできなくなる。絶望というのは少し大げさだが、初診前日も落ち込んだ気持ちで、眠れない夜を過ごした。