診察室に入ると頭が真っ白になる問題
先日、大病院の専門の先生のところで受診して来ました。
その詳細は別記事にまとめるとして、次回受診に向けて準備できることがないかと色々と調べていたら、興味深い記事を見つけました。
これは笑い話ですが、実際に皆さんも、診察室や病棟での医師との会話で思考停止状態になって、本当のことを伝えられずにその場をやり過ごしてしまったという経験はありませんか?
…笑い話というか、普通にあります。自分の時も、子どもの時も。嘘をついたり隠し事をしようというつもりはなくても、忙しそうなお医者さんを前にすると、いろんなことを言い忘れるんです。
同じ特集の別記事で、こんな記述もありました。
病気発覚後の患者には、次から次へと疑問がわいてくるのです。「わたしの病気は、一体どんなものなのだろう」「私の状態はどの程度なのか。その病気に対してどんな治療法があり、それにはどんな副作用がある?」「これからの経済的な負担はどうなるのか」「仕事は続けられるのだろうか」(中略)
それでは、今までの医療はどんなものだったのでしょうか。それは専門家に患者が「お任せ」する、依存的な医療であったということができます。患者は受け身で説明を受け、ただ同意をするだけ。医師のいうことには逆らえません。(中略)
1956年に、米国のサッシュ博士とホレンダー博士が論文に発表した医師(医療者)と患者関係のモデルによれば、病気の種類や状況に応じて、医師と患者関係は変わってくることを予言しています。
この表が作られたのは、60年も前のこと。それにもかかわらず、日本では現時点でやっと「説明ー協力」の関係の医療が出来つつある段階であり、まだ「協働作業」の医療は実現できていないことに驚かされます。(中略)患者の側も医療者の側もその準備が充分にはできていないのが、現在の状況ではないでしょうか。
今の段階で、この記事を読めて本当に良かった。
「どうしていいかわからない」と途方に暮れるのではなく、患者の側にできる準備作業として、これからは以下のことをしようと思います。
- 調べる(一人ではなく、家族の力も借りる)
- 整理する(限られた時間で、先生に何を確認したいのかを明確にする)
- 治したい!という意思を持つ(病気になった、情報がない、という不安要素に支配されると、案外忘れる)
幸い、先生は繰り返し「治療方針については、一緒に相談していきましょうね」と、私たちと同じ目線でいてくださっている印象です。こちら側がしっかり準備しないと、せっかくのこのような先生の姿勢も無駄になってしまう。
病気を治すにも、努力が必要だ、ということを肝に銘じたいと思います。