下町フネ子の子育て、通院、時々仕事

ある日突然、目に悪性リンパ腫があると告げられた2児の母のブログ。これから起こるであろういろんなことを、前向きに乗り越えたい。

放射線治療お休みデー

放射線治療、4回終わりました。

今日は機械点検日なので治療はお休み。毎日乳飲み子連れて病院まで通ってるので、なんだかぐったりしているのは単なる疲れなのか放射線のせいなのか、よくわからない。両方かな。なんとなく舌がヒリヒリするような違和感もある。

今日は色々やりたいことあったけど、気づいたら昼寝してて何もできなかった…。

 

治療開始初日は、それはそれは大変だったので、それはまた別途。

治療開始にあたっての決意表明

いよいよ明日から放射線治療が始まる。平日は毎日、自宅から病院まで通うことになる。今の所、治療回数は15回。多少、増減の可能性はある。

 
目の周りに放射線を当てるので、ただでさえ弱い目の皮膚が赤くなるとか、だから目やにが出てもこすっちゃダメとか、まつ毛が抜けるとか、放射線酔いがあるかもしれないとか、色々と副作用が出る可能性を医師から聞いている。
 
私は子ども2人を抱える身。
私が動けなくなって、何の備えもしていなければ、子どもらにしわ寄せがいく。
副作用がどの程度のものなのか全くわからないので、悪い事態を想定し、実親義親とシッターさん(通院中の子守担当)の予定調整を行った。シッターさんも複数名いるので、連絡事項のやりとりには今日のうちの相当な時間数を費やした。
 
予定調整の中で、つくづく、「私は一人で生きているのではない。色々な人の力で、生かされているんだ」ということを感じた。
 
自分が中心になって子育て(そして、時には仕事も)をしていると、自分がいかに大変か、自分がいかに頑張っているか、自分が、自分が…といった思考になりがちである。
 
今回の病気の可能性を疑い、紹介状を書いてくれた地元の眼科の先生。
娘の予防接種や検診日程の相談の中で私の病気の話をしたら、受診するたびに「お母さんの調子はどう?」と気にかけてくれる、子どもたちのかかりつけの小児科の先生と、看護師さんたち。
治療期間中の息子の保育時間延長を快くOKしてくれた、保育園の先生たち。
なかなか会う機会はないけれど、実はものすごく心配してくれている会社の上司と、上司の上司と、元上司。
お母さんの健康が第一なので、できることは何でもします!と言ってくれるシッターさんたち。
私がピンチの時は、どんな苦労も買って出てくれる、気合の入った実親、義親。
私の病気を機に、自分の行いを見つめ直しているであろう夫。
そして、可愛い、可愛い子どもたち。
 
私が今ここにいるのは、そして、病気が深刻にならないうちに治療を受けられることになったのは、たくさんの人のおかげ。
 
まつ毛が抜けるくらい、大したことないじゃないか。
1ヶ月なんて、あっという間だ。
 
毎日のことだから、特に家族には負担をかけるけど、しっかり治して、治療の副作用からも立ち直って、元気に笑顔で過ごせるようになることが、私の務め。
 
急がず焦らず、でも着実に、「万全な体調」を取り戻すべく、一歩一歩進んでいきたい。

治療方針決定!放射線治療始めます

9月半ばの心地いい陽気のある日。

今日は検査の結果を聞きに病院に行く。夫も一日休みを取った。

診察は午後からなので、朝はゆっくり過ごして病院へ向かった。

駐車場がたくさんあるので、今回は夫の運転で。少々道が混んでいたが、11時過ぎに到着し、院内食堂で腹ごしらえすることができた。

 

さて、結果説明。

主治医の先生(血液内科医)ががちょっと改まった感じだったので少々ドキドキしたが、

「血液検査、CT、骨髄、胃カメラ、PET/MRIの検査を総合した結果、眼部以外の腫瘍は認められない」との話があった。

私は、胃カメラの時にその場で「何もないですよ」と言われてから、まぁ多分大丈夫だろうとのんびり構えていたので、「ありがとうございます、わかりました」と軽く返事をしたが、夫はたいそう不安だったらしい。

各種検査の写真や画像も見せてもらった。CTやPETを指差して、先生が「これはウンチです」「あ、ここはおしっこ」とか真顔で言うからニヤニヤをこらえるのが大変だった。先生がマウスをスクロールすると、私の体の輪切り画像がつま先から頭のてっぺんまでパラパラ漫画のように動いて行くのは、実に面白い(©️ガリレオ

そして、検査にあたっての断乳については、先生から「フネ子さんから成育に電話させてしまって、こちらから情報提供できなかったことを申し訳なく思っている。今回のことは医療チームでも共有させていただき、私たちとしても勉強になりました」とわざわざお詫びの言葉が。

「一流の人ほど謙虚」ということを、まざまざと実感させられた。先生の爪の垢を煎じて飲みたい(飲ませたい人がもう一人いるけど…自主規制)

 

と言うわけで、私の診断は目のみの「MALT型リンパ腫」と完全に確定。経過観察と言う選択肢もないわけではないが、私の年齢を考えると、病気を抱えたまま過ごすことはどうなのかな、なので、第一の選択肢が放射線治療かな、と先生は言う。

私もそのつもりだったので、「放射線治療でお願いします」と即答。

血液内科での診察は終了し、放射線科へ。

患部の写真を撮影し、治療の副作用と留意事項は以下の通りであると説明を受ける。

・治療は15回を予定。平日は毎日通院する。放射線がよく効くタイプの腫瘍なので、もしかしたら回数は減るかもしれない。カンファレンスで検討する。

・皮膚が日焼けしたように赤くなる→アイメイク禁止、強くこするの禁止

・目やにが増えることがある

放射線酔い(倦怠感、吐き気など)が現れることがある

・まつ毛が抜ける

話を聞いていて、平日に毎日通院という点に一番驚いたが、「カンファレンス」という言葉を聞いて、ドクターXで米倉涼子がえらい先生の手術方針に噛みついてるシーンを思い浮かべてしまい、またもニヤニヤをこらえるのに苦労…。それはさておき、私ごときの治療方針も、複数の先生方できちんと検討していただいているということを知り、安心感が増した。

そして、先生に外出する際にサングラスとかかけた方が良いのか?と聞いたところ、そこまでする必要はない、とのこと(治療のために毎日出歩くのに本当に大丈夫かな)

また、余計な箇所に放射線が当たらないよう、マスクのようなものを作った。

これ(画像はネットで検索して拝借)。

http://www.sap-cc.org/xray/img/shell2.jpg

お湯で温めたプラスチックを顔の形に整形して、顔の上に乗せたまま固まるのを待つのだが、固まるにつれ顔が型にはめられていくような何とも言えない感覚を味わった。治療終わったら、お面持って帰れるのかな。余談だが、子供用のシェルはヒーローの仮面になっていたりするらしい。なんてきめ細やかな配慮。

放射線治療中は、専属の看護師さんがついてくれるので、日常生活で不自由することなどがあれば気軽に相談できる体制が整っているのも心強い。

初回の治療まで1週間。初日だけ、開始が夕方遅い時間で息子の保育園が閉まるまでにお迎えに行けなくなりそうなので、預け先の手配と治療期間中の家事育児バックアップ体制を早々に整えないといけない。

が、いざ色々なことを始めようと思うと何から手をつけていいのかわからずこういう状態に。

困ったものです。 

 

初診とその後の2週間

の続きです。
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初診当日。ほぼ徹夜を引きずり、慌ただしく朝の支度をした。
夫も休みを取ってくれていたので、息子の保育園送りは夫に任せた。
初診は診察開始1時間前に来てくださいと言われていたので、「履きたい靴が見つからない」と騒ぐ夫を置いて先に家を出た。
 
この日、娘と二人で久しぶりに電車に乗った。
朝の通勤時間帯と重なっていることもあり、かなりの混雑。窓の外を見て娘に話しかけながら、移動時間を過ごした。移動中は終始なんとも言えない緊張感に襲われていたので、やり過ごした、というのが正確かもしれない。
電車を降りて駅から病院までは、病院のホームページの親切な道案内に助けられて迷うことはなかったが、病院のロビーが広過ぎて、初診受付にたどり着くまで時間がかかってしまった。
銀行の受付と同じ要領で、番号札を取って待っている間に夫合流。番号札を取ってから10分ほど待っただろうか。受付に呼ばれ、初診で記入する問診票をもらった。なんとA4×8枚。ネットで調べて「記入書類がたくさんある」となんとなくイメージはしていたが、ここまでとは驚いた。質問の多くが、当たり前だが「がん」に関連するもので、「(おそらく)自分はがん患者である」という事実を突きつけられているようで、回答するのがかなりしんどかった。特に印象に残った項目が、「この1週間のあなたの気持ちの辛さを10段階評価してください」というもの。気持ちに波があったのは間違いないので、10段階中5を選んだ。祖父母がどういった病気で亡くなったか、という項目もあった(情けないことに、完璧には答えられなかった)
 
問診票を受付に提出したのち、治療や検査の過程で患者から採取した血液その他を研究目的で使わせてもらいたい、という趣旨の説明を受け、同意書にサインをした(同意しなくても、治療に何ら不利になることはないそう)。が、説明は上の空で聞いていた。
そして、眼科の待合へ。お隣は小児科。自分の子供がもし小児がんと診断されたら、どんな気持ちになるだろう。何事もないように、本当に普通に待合で過ごしている親子の姿が、ものすごく眩しく見えた。私はというと、夫と話す気にもなれず、スマホをいじる気にもなれず、周囲を見たらポスターや備え付け書籍に「がん」の文字が溢れていることに再び参り、寝不足だったこともあって、居眠りしていた。
 
診察室に呼ばれた。
紹介された先生とは違う名前だったので焦ったが、「この後○○先生(紹介された先生)にも見ていただきます」と言ったことを最初の先生が言っていたような気がする(ぼんやりしていたこともありよく聞き取れず、その後のやりとりもあまり思い出せない)。
しばらく待ったのち、再び診察室へ。普通の眼科と同じ要領で、目をライトで照らし、まぶたをめくったりしながら診察。
先生の見立てでは、「MALT型の悪性リンパ腫」とのことだった。粘膜の部分にできる悪性リンパ腫で、進行は極めて遅く、目だけにできているなら極端な話、放置しても問題ないこともあるのだそう。ただし、悪性リンパ腫は血液がんであることから、治療を始める前に全身にリンパ腫がないかどうか確認する必要があり(MALT型リンパ腫は胃の粘膜にできることが多く、ピロリ菌保菌者だとより発生のリスクが高まるらしい)、その後治療方針を決めることになる、という説明を受けた。腫瘍があるのが目だけならば、放射線治療を選択するケースが多いが、白内障が早期に発症したり、ドライアイになるというリスクがあるとも言われた。
そして、腫瘍の種類を確定するためには、目の組織の一部を切り取って検査に出す必要があるが、今日にでもできますがどうしますか?と聞かれ、私が夫に「どうする?」と聞くと、夫から先生に「今日やってください」と依頼。そこは私からお願いします、と言いたかったのに。何れにせよ、心の準備も何もあったものではない。先生曰く、「手術とも言えないくらいの簡単な手術」だが、手術は手術。麻酔もメスも使う。ビクビクしながら再び待合でNHKニュースと昼の朝ドラを見ながら暇を潰し、診察室備え付けのベッドに横たわって手術開始。瞬きしないよう、目をクリップで止められた。痛くはないが、思う通りに瞬きできないのは辛かった。針や刃物が視界に入らないよう目はガーゼのようなもので覆われ、その後麻酔入りの目薬をさし、麻酔の注射をし、患部を切り取った。麻酔はきいていたし、恐怖を感じないよう最大限配慮してくれていたと思うが、そこそこ痛かったし、怖かった。その後生まれて初めての眼帯をする。あまりにも遠近感がわからないことに驚いた。
 
長い待ち時間と診察と予期せぬ手術で疲れ切ってしまい、帰りはタクシーに乗った。一人になりたかったので、子供達は夫と母に任せ、長いこと眠り、20時過ぎくらいに夕食のカレーを食べた。
 
その後、三日ほどは目の痛みも残っていた。
そして、初診前と同じ検索ワードで病気の情報を調べ、相変わらず何もわからないことに不安になり、「やっぱり私はがんなんだ」ということが頭をよぎっては落ち込み、いろいろなことが手につかなかった。食事もあまり喉を通らなかった。
 
なんせ、まだ30代。がんなんて、他人事もいいところだった。診断がつくまでの「宙ぶらりん」の期間が、ここまでしんどいとは思わなかったし、気持ちが憂鬱になっていつもできることができなくなると、「この程度で参ってしまうなんて、なんて私は弱い人間なんだろう」と余計自分を追い詰めてしまい、マイナス思考の悪循環に陥った。
 
しかし、診断確定の二日前くらいになったらスッと気持ちが軽くなって、「もう、なるようにしかならない」と腹をくくることができたように思う。2回目の診察の前日は、初診のときとは違い、ぐっすり眠ることができた。
 
その後のことは、こちらの記事をご覧ください。

改めて、地元眼科初診から専門病院受診までのこと

以前のエントリーと重複しますが、改めて、地元のかかりつけ眼科初診の時から専門病院受診までのことを書いてみようと思います。

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私の息子は、3歳を過ぎた頃からよく目が腫れる。なので眼科によく行く。子供は、ストレスや疲労などの精神的身体的負荷がかかると、よく熱を出したり中耳炎になったりするが、うちの息子の場合は症状が目に出やすい、ということらしい。

 
5月のある日、何となく鏡ごしに自分の目を見ていたら、右目の下半分が赤くなっていた。2人目の子供が生まれてから数ヶ月、育休中とは言え鏡をじっと見る間もないほどの慌ただしい日々を過ごしていたなあ。もっとちゃんと自分の体とも向き合わなければいけないなあ、と思い、その翌日に、息子のかかりつけ眼科へ足を運んだ。この眼科は、あまり混まない上、気さくかつ経験豊富な先生なので助かっている。眼科に到着し、ほどなく診察。瞼を裏返されていたので先生の表情は見えなかったが、うーんと言いながら何度もなんども繰り返し私の瞼を見ていたので、もしかして何かあるのかな、と思った。はいいいですよー、と言われて顎を診察台から離すと、先生が言った。「ひとまず、抗菌剤とステロイド剤入りの目薬を処方しますが、普通の結膜炎じゃない可能性もあります。2週間様子見て、もし良くならなければ来てください」と言われた。
普通の結膜炎じゃない、ということの意味は、この時まるでわかっていなかったので、「わかりましたー」とだけ言って、病院を後にした。
 
6月中旬に、娘を小児科に連れて言っている最中に病院のテレビで小林麻央さんの訃報に接し、涙が出そうになった。同世代で、私と同じく2人のお子さんがいる。
死んじゃったら全部が終わりなんだ、自分を大事にしなきゃ、と心の底から思ったが、眼科を受診してから2週間以上経過していたことを、この時の私はすっかり忘れていた。目薬も、ろくにさしていなかった。
 
我が家は2世帯住宅である。両親とも働いていることもあり、ちょうど良い感じの関係を保っている。6月下旬のある朝、息子を送りに出ようとした時、母と玄関で顔を合わせた。すると母は「そういえばあなた、目医者さん行ったの?私今日仕事休みだから、娘ちゃん見ててあげるから行ってきなさい!」と言われた。あぁそうだった、と思い出し、息子を保育園に送り届けたその足で眼科へ向かった。
 
診察。先生は私の瞼を見るなり、ためらいつつも早口の関西弁で喋り始めた。「えぇーとね、この白めの下の方にタラコみたいなピンクのんくっついてるでしょ、これが前回診た時よりよくなってないんです。これね…おそらくリンパ球が異常に増殖していて、自分も何回かこういうケース診たことあるんだけどね、専門の病院に行ってもらったほうがいいと思います。ネットで調べたら国立がん研究センターが一番症例数多いから、紹介状書きますんで診てもらってください」
 
へ?がん?
 
まるで事態が飲み込めない。リンパ球が増殖するとがんになるの?頭の中が「?」でいっぱいになる。帰り際、受付で紹介状をもらいつつ、「先生に、受診までの間日常生活で気をつけるべきことがあるか聞き忘れてしまったのですが」と尋ねると、先生からは「特にないです」との返事があった。紹介状の封筒には、やはり「国立がん研究センター」って書いてあるし、予約受付電話番号のメモには「眼腫瘍科」と書いてある。頭がクラクラしてきた。自転車を漕ぐのも何だかフラフラする。帰宅すると義母が「どうだった?」と聞くので、こんなもんもらいました、と紹介状を見せると顔面蒼白に。夫にも電話し、ことの次第を「驚かないで欲しいんだけど…」と前置きし、かくかくしかじか、と話したら言葉を失っていた。さらに、病院の予約を入れるために電話したら「はい、希少がんセンターです」と電話口の方が出るのでまたまた「希少がん」という言葉に怖気付いてしまった。ひとまず1週間後くらいの日付で予約を入れ、その日に夫にも休みを取ってもらうことにした。
 
余計なことをあまり調べず、初診までやり過ごそうと思っていた矢先、息子が発熱。続いて娘が発熱。私は手足口病に。私の手足口病が一番重症で、初診日まで治る見込みがなかった。やむなく初診を先延ばしすることに。手足口病が治ってから初心までの数日は、本当に苦しかった。さすがに何も調べずに受診するわけにはいかないと思い、「目 リンパ球 増殖」で検索すると、「悪性リンパ腫」の文字が飛び込んできた。もしかしたら、かかりつけの先生は気を遣って病名をはっきり言わなかったのかもしれない、と思いつつ、「私って悪性リンパ腫なんだ…」となんとも空虚な気持ちになった。さらに、国立がんセンターのページを検索したが、私の病気と思われる項目の記述はわずか数行。どんな検査をするのか、どんな治療をするのかもわからない。また、そもそも、その病気で合っているかどうかもわからないので、「眼腫瘍」の他の疾患に関する記述を見ると「死に至ることもある」「眼球を摘出する必要がある」と行った記載も散在し、ますます不安を煽られる。堪り兼ねて、がんセンターが作っている「がん情報サービス」を読むと「情報はあなたの力になります。調べましょう」とある。いやいや、調べても情報出てこないし!と憤り、そしてますます不安になる。日中は物事がまるで手につかず、夜は眠れなくなりひたすら「目 リンパ腫」で検索し、ページをかたっぱしから読み漁るが、書いてあることは皆、がんセンターのページのコピペだった。紹介されたお医者さんの名前で検索をして見ると、どうやらその道の第一人者であるらしいとわかったことだけが救いだった。
この情報が氾濫するご時世に、「調べても何もわからない」という不安を味わうことになるとは、思ってもいなかった。検査は、治療は、どんなものなのか。育児(特に授乳)に支障はないのか。仕事復帰はできるのか。限りある育休の時間、いろいろなことを学ぼうと行動していたのに、それもできなくなる。絶望というのは少し大げさだが、初診前日も落ち込んだ気持ちで、眠れない夜を過ごした。

悪性リンパ腫の検査と授乳 〜本当におっぱいやめなきゃダメですか?〜(その3)

※はじめに

この記事の内容は、あくまでも私(医療に関してド素人)が勝手に調べて実践した内容です。この記事の内容通りのことを、読者の皆様にお勧めするわけではありません。が、授乳しながら病気療養中、検査進行中の方にとって少しでも参考になればと思い、書きました。記載通りのことを行って万が一何かあったとしても責任は負えませんので、ご了承ください。

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主治医からPET/MRI検査の中止を提案されたものの、中止するか否かを巡って夫婦で対立していた私たち。私は、娘に断乳の苦しみはもう味わわせたくないので、検査中止もやむなし、ただ、「授乳継続しながら検査」の一縷の望みを、成育医療センターの問い合わせ窓口に託すことにし、再び電話してみることにした。

 

9月のある平日の午前9時50分。娘は抱っこ紐の中で寝ている。母子手帳、主治医からもらった検査の説明文書、メモを手元に揃えて、携帯を握りしめてソワソワ。9時59分50秒。電話してみると…

繋がった!!

問い合わせ窓口の方「使用されるお薬の具体的名称と、投与量を教えてください」

 

へ???

私「PET/MRI検査で使うガドリニウム造影剤と、放射性医薬品なんですけど」

窓口「具体的な名称がないとお調べできないので、今一度おかかりの医療機関に問い合わせてから再度お電話いただけますか」

私「あの、先週からずっと電話してて、今やっと繋がったんです。繋がりやすい時間などあれば教えていただきたいのですが」

窓口「うーん、やはり週明けはお電話が集中しますが、それ以上のことは何とも…」

 

思わぬところで足元をすくわれてしまった。

しかし、次に病院に行くまで日がないので、何としてもこの日中に成育から回答を得ないといけない。躊躇する間もなくがん専門病院でもらった説明文書に書かれていた検査フロアの直通電話に問い合わせ、使用する薬剤名と投与量を聞いたら、快く教えてくれた。また、24時間授乳をやめなければならない根拠もさらっと聞いてみると、「どちらのお薬も、体の中で半分代謝されるまでの時間、これを半減期というんですけど、2〜3時間程度です。ただ、その後も体の中にお薬は残るので、授乳は控えてほしいのと、放射性物質を含む薬を使うこともあるので、最低限の抱っこ以外は、24時間乳幼児との接触も控えるよう指導させていただいています」とのことだった。

 

さあ、気を取り直してひたすら電話。昔、ラジオ番組にリクエスト送りたくて電話をかけまくったことを思い出しつつ、小腹が減ったので納豆ご飯を書き込みながら電話。30回くらいかけたところだろうか。まさに納豆ご飯が口の中に入っている瞬間に電話が繋がり、無駄に焦ってしまった。

先ほど電話したが、情報が足りなかったので調べ直して今一度お電話しました、と説明すると、「それでは担当におつなぎしますので少々お待ちください」とのこと。

「はい、成育医療センター授乳と薬相談窓口の医師の○○です」

すごい!お医者さんと話せるんだ!!

娘の月齢や生まれた時の体重、これまで授乳中に薬を飲んだことがあるか、等の内容を簡単に質問され、答えた後、こちらから、使用する薬と投与量を伝えた。

以下、先生からの回答。

ガドリニウム造影剤 の半減期は2〜3時間程度。これ以降であれば、造影剤の母乳への移行量はほとんどないので、授乳再開しても問題ない。

・放射性医薬品(FDG)については、情報なし。

 (私から、この薬も半減期は2、3時間と聞いているのだが、と尋ねると)

・そもそも、薬が母乳に移行するのはごくわずかな量なので、赤ちゃんが母乳を介して薬を口にして何か起こるような薬であれば、母体にも相当な副作用が出るはず。

最後に、「今回の回答を踏まえ、薬を使用する際に授乳を続けようと思ったか」という点も確認された。

 

電話を切った瞬間、パーっと目の前が明るくなった気がした。

検査の説明文書には、使用するいずれの薬も重篤な副作用は確認されていないとある。なら、きっと大丈夫なはずだ。次主治医の先生に会う際に、成育に確認して「おそらく大丈夫」と言われたという点はきちんと伝えた上で、検査当日の夜くらいから授乳を再開しようと心に決めた。

 夫にも電話し、検査を受けること、成育の先生からのアドバイスを踏まえてその日のうちに授乳再開しようと思う、と伝えた。わかった、と返事があった。

 

成育の電話相談窓口は、専門の医師が対応してくれるので本当に心強かったが、何しろ電話が繋がらず、大変な思いをした。

一般的な薬の授乳に対する影響は同病院のホームページでも公開されているので、成育の窓口に電話しようと思っている人は、まずこちらを確認してほしい。

私のように、日本全国から、この窓口を頼って電話してきている人はたくさんいると思うので。

成育医療センターの授乳と薬相談窓口はこちらです

妊娠と薬情報センター:授乳と薬のご相談について | 国立成育医療研究センター

 

そして、医療関係者のみなさんへ。

授乳中の女性、というのは、「点」で見たら人数は少ないけれど、一生の間に妊娠、出産、授乳を経験する人数、つまり「線」で捉えた人数はそれなりの数いるはずです。

妊娠、出産、授乳を理由に、医療者側が検査や治療に必要な薬を使わない(あるいは、患者の自己判断で「どうせ薬飲めないから」と通院しない)ことで病気が悪化したり、最悪命を落としているお母さんがいるかもしれないと考えると、とても悲しくなります。

どうか、「薬の添付文書に書かれているから」という理由だけで、授乳中のお母さんに授乳を控えるよう指導するのは、できることならやめてほしいです。完全母乳で育っている赤ちゃんにとって、母乳は唯一無二の栄養です。うちの娘のように、何度練習しても哺乳瓶を受け付けてくれない子もいます。

より多くの母子の命を守るためにも、「薬の種類によっては、授乳してても投与して問題ない」という認識が広まることを切に願います。

悪性リンパ腫の検査と授乳 〜本当におっぱいやめなきゃダメですか?〜(その2)

※はじめに

この記事の内容は、あくまでも私(医療に関してド素人)が勝手に調べて実践した内容です。この記事の内容通りのことを、読者の皆様にお勧めするわけではありません。が、授乳しながら病気療養中、検査進行中の方にとって少しでも参考になればと思い、書きました。なお、記載通りのことを行って万が一何かあったとしても責任は負えませんので、ご了承ください。なお、私が結局どうしたのかを知りたい方は、「その3」を読んでください。

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CT検査後の24時間断乳でさながら地獄絵図のような事態に見舞われた我が家。

検査の翌々日、娘は発熱。RSウイルスがやっと完治したと思っていたところだったので、なんともやりきれない気持ちになった。

それもあり、何としても断乳せずに済む方法を考えようと、ネットで調べてたどり着いたのが助産師HISAKOさんのブログのこちらの記事。

ameblo.jp

CTの一般的な造影剤は『水溶性ヨード造影剤』です。
静脈から注射され、血液と一緒に循環して、
最終的に腎臓で血液から尿へと流れていきます。

MRIの一般的な造影剤は『ガドリニウム造影剤』
これも血液と一緒に流れて
腎臓から出ていくのは同じです。

薬剤添付文書では、
授乳中の女性がCTやMRIの造影検査を受けた後は
一定期間の授乳禁止を勧めていて
CTでは48時間、MRIでは24時間としています。

その科学的根拠は?

CT造影剤では「ラットの実験で乳汁中に排泄される」
MRI造影剤では「ヒト母乳中へ移行する」

添付文書に書いてある情報は
実はたったこれだけ。(中略)24時間やら48時間やら、
いったいどこから出てきた数字なんだか?
具体的な厳守時間を提示するにはまったく不足な
情報量だと思います。

ちなみにアメリカ放射線専門医学会では、
CTやMRI造影剤が母乳を介して赤ちゃんに移行する量は
極めて微量なため、検査直後から授乳しても
安全であると勧告しています。

点滴で静脈から注入する造影剤の母乳への移行は、
投与3〜6時間後に母体血中濃度がピークとなり、
その後、母体から排泄されるスピードは
とても速いです。

注入24時間経った時点の乳汁移行量は
ほんの微量、母体投与量のたった約0.5%。
また、造影剤入りの母乳を飲んだところで
赤ちゃん消化管からの吸収はほとんどなく
0.1%未満だということが判明しています。
 (中略)

結論は

『造影剤使用のCTやMRIのあと授乳をやめる必要はない』

ですね!

実際、ESUR(造影剤ガイドライン)にも

「造影剤投与後すぐに授乳しても
まったく大丈夫なんだよ〜」

と記載されています。

この記事…検査の前に読んでいたかった!!!あの24時間は一体なんだったんだ、と思いつつも、「PET/MRI検査を断乳せずに行う」という私の希望の実現に向けて、一筋の光がさしたような思いがした。

また、同記事の中には「成育医療センターに授乳と薬の相談窓口がある」との記載も。

早速成育医療センターのホームページにアクセスしたら、残念ながらその日は受付時間を過ぎていたので、翌日チャレンジ。平日10時から12時なので、上の子を保育園に送って帰宅したらすぐに電話しようと意気込むも、まあ風邪を引いた0歳児を抱えていてはそう簡単には行かないのが現実。なかなか繋がらないので、翌日も、その翌日もチャレンジしたが繋がらなかった。さすがに心折れて、通っているがん専門病院の相談窓口に電話したら、主治医の先生に繋いでくれた。

 

「先生、先日のCTの後に断乳したら、娘が脱水症状に近い状態になってしまい、その後熱を出してしまって、見ていられないくらい辛そうで、私自身もかなり参ってしまっているのですが…」

すると、先生からは意外な回答があった。

「それなら、検査をやめましょう。検査をするメリットよりも、デメリットの方が大きい。検査のために、お子さんを命の危険に晒すわけにはいきませんから。PET/MRIの検査が実用化されたのは、ここ2、3年のことなので、PETなしでもリンパ腫の全身への転移の有無を見極めることはできます。逆に、PET検査をしても100%ではありませんので」

それなら、検査やめちゃってもいいか。と思い「じゃあ、検査はキャンセルにしてください」とお願いし、その旨を夫にLINEしたら、電話がかかってきた。

「勝手に検査をキャンセルするなんてありえない。断乳するのはたった一日だろ。検査受けろよ。長い目で見れば検査する方が大事にきまってる」

 

なにそれ。

「たった」一日って。

 

絶句して、電話を切った。

 

自分は、あの日の夜中寝てたくせに。

翌日、笑わなくなった娘のことも、見ていないくせに。

娘の病み上がりに断乳して、「たった」一日の間に何かあったらどうするの。

正論を振りかざして、私のことを追い詰めないで。

 

LINEに怒りをぶちまけて、夫に送った。

 

とはいえ、成育医療センターに問い合わせができたわけではないので、授乳しながら検査ができる、という可能性も残っていることを思い出し、主治医の先生にもう一度電話して、「検査の予定はまだ確保しておいてください。次病院に行くときまでに結論を出します」とお願いした。

 

その日から数日、私と夫は口をきかなかった。

私の気持ちは、一層不安定になった。

体も思うように動かず、突然涙が込み上げてくることもあった。

 

憂鬱な週末を過ごし、週明け、藁にもすがる思いで、成育医療センターに再び電話をかけた。

 

その3に続きます。